山田耕造
昭和15年京都に生まれ。東山高校卒業後、
家業に入る。昭和45年頃六代目当主を
継ぎ、現在2人の息子を 後継者として
育てている。店舗の設計図を自ら制作
するなど、「30年来の趣味として続
けてきたパソコンも、時によっては
仕事に生かしたい」と意欲的に語る。
金高刃物老舗
寛永末期創業。美濃で刀鍛冶の家
に生まれた初代が、二条城近くに
店を構え、侍の月代(さかやき)を剃
る日本剃刀の鍛冶屋を開業。屋号
は「藤原金高」。江戸末期、六角堂
前に店を移す。縁起をかつぎ、先
代が屋号を「きんたか」に改める。呉
服用の裁ち鋏や、池坊御用達の華道具
など、あらゆる刃物を手がける。

鋏のネジを調整する職人さん。
手を狭まぬようワラビ型に曲げられた花鋏。
握り鋏やノミの刃を使った
リサイクル商品。佳孝さん考案「波」
ブランドの波形ナイフ。

 

「親切さ」こそが、京刃物の心。
わたしらは、京の歴史と一緒に歩んで来
ました。錦の料理庖丁、西陣の握り鋏、池
坊の華道具、表具・・・京都の文化を担う職人
の刃物をずっと作ってきたんです。刃物を
使わん職人はあらしません。職人にとって
道具は命。それを預かるんやから、とにかく
「京刃物=新切なもん」を信条にしています。
使う人の身になって、ほんまに使いやすい
もんを、それが京都人の心です。
刃物は、柔らかい地金と硬い銅を合わせ
て成型して「焼き入れ」します。ここまでは
職人の仕事。その後、用途や使い手に合わ
せて刃を研いで、切れ味を調整する「刃つけ」
がうちの仕事ですわ。いわば「研ぎ屋」ですな。
花鋏は、華材や使い手の習熟度で刃つけ
を変えます。一回研いで長く使えるよう
にするのが、師匠用。無理しても刃がかけ
たりしないように「焼きもどし」をし、ケガ
をしない構造にするのが初心者用。組紐や
数珠作り用の鋏(ボンテン切)には、紐一
本でも硬い紐の束でも、手に負担かけず切
れるように刃つけせなあきません。いい道
具を生かすも殺すも、手に合わせた「見立て」
次第です。刃物は「手道具」やからね。わたしら
は、刃物と使い手のコーディネーターです。
ええ刃物を作るために、明治までに作ら
れた刃物の研究もしました。昔の刃物には、
お金の事なんかそっちのけで「いかに切れ
る刃物を作るか」ということに徹した職人の
情熱が宿ってます。使う側もとことん使い
込むから、良い道具は残ってませんがね。
その後の戦争で、鉄が不足し、粗悪な安い
刃物が出回るようになったことで、素晴ら
しい技術文化が失われてしもたんです。
職人もだいぶ減りましたけどね。うちは、
2人の息子が後を継いで、自分等で色々
工夫してますわ。「言葉じゃ教えられへん、技
は体で盗め」と昔は言いましたけど、伝統は
抱え込まず、細く長く続かせていくのが大
事やと思います。
頼もしい後継者
観光名所でもある、六角堂(頂法寺)の
前という場所柄、お土産のオリジナル商品を、
息子の和宏さんと佳孝さんが考案されたそうです。
握り鋏の片刃や小さなノミを再利用した、
インテリアとしてのミニ刃物。刃物の素材でもある
銅を使った仏像も、外国人観光客に人気とか。一方
専門店ならではの貴重な品として、池の藻を刈るための
「藻刈」という道具や、名工小寺藤二作の鋏
「矢羽根切り」、宮大工が寺の柱を丸く削るた
めに使う「槍鉋」等も見ることができます。
また、最近では和宏さん作のアウトドア用ナイフや
工具もお店に並んでいます。佳孝さんはホーム
ページを作成するなど、家族それぞれが新しい視
点で伝統を受け継ごうとする姿があります。
「みんなでケンカせんと幸せに商売できたらええわいなあ。」
と微笑むご主人。お店では今日も、職人さんが「カン・カン」と
刃を打つ音が高らかに響いています。